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東京地方裁判所 昭和43年(ワ)2702号 判決 1970年1月14日

原告

金子次郎

代理人

堀田勝二

復代理人

吉田忠子

被告

有限会社羽田シヨツト工業所

代理人

渡辺又喜

主文

被告は原告に対し別紙物件目録記載の各建物を明渡し、かつ、昭和四〇年一二月一日から右明渡済に至るまで一カ月金一〇万円の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

本判決は原告において金五〇万円の担保を供することを条件として仮に執行することができる。

事実

一、原告は主文第一、二項同旨の判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として次のとおり陳述した。

(一)  原告は昭和三二年二月一五日訴外宗教法人長照寺からその所有にかかる大田区本羽田三丁目五〇〇番の三宅地1130.94平方米を賃借し、右借地上に別紙物件目録記載の各建物(以下本件各建物という。)その他の建物を所有している。

(二)  原告は、昭和三六年一月一日被告に対し、本件各建物を賃料一カ月金五万円賃貸期限昭和四〇年一二月三一日までとして賃貸し、右賃貸借においては「賃借人は賃借物件を本来の用法に従い善良な管理者の注意をもつて使用収益するものとし、工場営業に関する法律規則その他官公署の命令慣習等を遵守し、営業停止をうけたり罰則にふれたりする行為はもとより総じて賃貸人の迷惑となるような行為をしてはならない」旨の特約をした。

しかして、右賃料はその後改められ昭和四〇年一一月に金一〇万円に増額された。

(三)  ところが、被告は、昭和三六年四・五月頃から本件各建物の一部である工場をショット工場として使用を開始し、当初は機械三台を使用していたが後に四台となつた。右ショット作業は鋳物類、鍛造品鈑金等に附着しているカーボン砂等を落す金属研掃(研磨清掃)作業であるが、その作業工程から多量の鉄微粒粉が発生し、それが工場の周辺の長照寺の墓地ならびに原告宅に飛散してきて、その鉄錆により墓地内の数多の墓石は数カ月にして変色し、かつ、その鉄錆は次第に墓石を侵蝕し、墓石はその尊厳味ならびに価値を失い、その完全な清掃復元は事実上不可能となつた。また、原告方においてもこのため生活上、健康上甚しい被害を蒙つてきた。

そのため、長照寺より昭和三六年中から屡々原告に対し被告に鉄微粒粉の飛散を防止する完全な設備を施工させるよう厳重な申出があつたので、原告は被告に対し繰返し完全な防止設備の設置を要求してきたが、被告は極めて不完全な設備をしたに過ぎなかつたので、なお多量の鉄微粒粉が工場周辺に飛散する状態であつた。

(四)  長照寺は右被害に耐えかねて、原告に対し昭和四〇年八月二七日付書留内容証明郵便をもつて「右郵便の到達後二カ月以内に被告をして鉄微粒粉飛散防止の完全な設備を施工させるかまたは作業方法を変更するかの措置をとられたく、万一右期間内に適正な措置がとられないで相変らず墓地内に鉄微粒粉が飛散されるときは原告の義務違反を理由に、原告との間の土地賃貸借契約を解除する」旨通告してきた。

(五)  そこで原告は被告に対し昭和四〇年九月七日付書留内容証明郵便をもつて、長照寺より原告に対する通告内容を伝え、原告の窮境を明らかにするとともに、原告としても、これ以上鉄微粒粉の飛散による被害を耐え忍ぶことは賃貸人として忍容すべき限度を超えるものであるから、昭和四〇年一一月一〇日までに鉄微粒粉飛散防止の完全な設備をするか、または作業方法を変更するよう催告し、右書面は同月八日被告に到達した。

(六)  被告は右催告に対し改めて鉄微粒粉飛散防止設備をしたが、これも極めて不完全なものであつた。そのうえ、被告は殆んど一年中工場の窓を全開して作業を行ない、工場内の鉄微粒粉が墓地等に飛散するのを放置し、また、原告の再三の改善要求を無視して折角とり集めた鉄微粒粉を工場外に野積みにし、風に吹き流されるままにしていたため、依然として多量の鉄微粒粉が工場周辺に飛散される状態は改善されなかつた。

そこで、原告は被告に対し、昭和四一年一二月一二日付書留内容証明郵便をもつて前記特約違反を理由に本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をなし、右書面は同月一三日到達した。

(七)  よつて、原告は被告に対し、本件各建物の明渡ならびに昭和四〇年一二月一日から右明渡済に至るまでの賃料および賃料相当の損害金として一カ月金一〇万円の割合による金員の支払を求める。

二、被告は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁ならびに主張として次のとおり主張した。

(一)1  請求原因(一)の事実中原告が訴外長照寺からその所有にかかる土地を賃借し、右土地上に原告が本件各建物を所有している事実は認めるもその余の事実は不知である。

2  同(二)の事実は認める。但し、原告主張の特約は例文であつて拘束力はない。

3  同(三)の事実中原告主張の頃、原告主張の作業を開始し当時鉄粉の飛散したことおよび、これに対し原告から防止設備をするよう要求のあつたことは認めるがその余の事実は否認する。

4  同(四)の事実は不知

5  同(五)の事実中原告主張の内容証明郵便の到達したことは認めるが、その余は争う。

6  同(六)の事実中被告が鉄微粒粉飛散防止の設備をしたこと、原告主張の内容証明郵便の到達したことは認めるがその余は争う。

(二)1  本件工場は訴外ツバサ鋳物株式会社が原告から賃借して鋳物工場として使用していたところ、同会社は昭和三五年倒産するに至ったので、同三六年一月一日より被告においてこれを賃借し、ショット工場として使用しているものであるが、右賃借に際しては権利金五〇万円を支払つたほか、同会社の未払賃料金一五万円、原告が保証人となり同会社が相互銀行から融資を受けていた借入金合計三五万八二〇〇円をも被告が代つて弁済する等の出捐をしており、しかも賃料は賃借後原告主張のとおり二年三月にして倍額となり、被告の右出捐に比し著しく割高である。のみならず、被告は原告の要求をそのままいれて昭和三九年一月三一日には金九六、八〇〇円を塀をとり代える費用として支払い、同年一二月三〇日には屋根の修理代だとして金八六、四〇〇円を支払つている。

2  本件工場に設置した各機械にはもともと除塵装置が施してあつたが、完全無欠とはいえなかつたので、被告は左のとおりその改善に努めた。

(イ) 昭和三七年五月頃原告より鉄微粒粉飛散防止方申入れがあつたので、被告は右申入れに基き同年六月頃各機械(当時は三台)に除塵用タンク一基宛計三基ならびにタンク用エアコンブレッサー一台を取付て飛散の根絶を期した。

(ロ) しかし未だ完全とはいえなかつたので同年九月になつて、タンクの中に砂利ガラス玉類を入れてこれに水を注入し、その中を汚れた空気を通過させることによつて汚水を吸収させることを考案し、パイプの設置については原告の意見もとり入れて改造工事を行なつた。その結果相当改善されたがまだ十分ではなかつた。その原因は水不足にあると考えられたので同年一二月井戸を堀りポンプを据付けて大量の水が流入するようにした。これにより一段と改善されたがまだ完全とはいえなかつた。

(ハ) そこで一年半位経過した後吸収設備を二重にして吸収すれば鉄微粒粉の飛散は完全に防止できるとの確信を得たので昭和三九年五月大型タンクおよびポンプ一台を増設し、パイプの設置については再び原告の指図に従い吸収設備を二重にしたところ、その結果はほとんど所期の目的を達し、鉄微粒粉の飛散はなくなり、僅少の塵埃がでる程度となつた。

(ニ) 被告はたとい些少にしても公害を発生せしめてはならないとの配慮から、その後においても、鋭意完全無欠の装置を研究していたところ、台東区所在の特殊部品工業株式会社において高性能の装置すなわちバックフィルターと称する機械を製作していることを知り、昭和四〇年九月六日右会社に対しバックフィルター三台(価格五〇万円)の製作を発注し、右機械は同年一一月上旬完成し取付られた。これによつて鉄微粒粉の飛散は完全に防止されるに至つた。

被告が以上の設備に要した費用は合計金一一〇万円であるが、これは被告のごとき小企業としては多大の出費である。

(ホ) 原告は被告が以上のように設備をした後被告に対して何らの申出もしなかつたのに、被告が原告方に持参提供した昭和四〇年一一月分の賃料の受領を拒絶したので、被告は以来賃料を供託している。

三、原告は被告の主張に対して(二)の1の事実中被告が賃借するに至つた経過が被告主張のとおりであることは認める。しかし、右賃借時における被告の出捐は争う。但し、原告が礼金として金五〇万円、屋根の修理代として昭和三九年一〇月二一日金九六、八〇〇円を、外壁等の塗装代として同年一二月三〇日金八六、四〇〇円を受領したことは認める。同2の(イ)の事実は認める、同(ロ)の事実中被告主張の工事がなされたことは認めるが、その工事につき原告の意見を取り入れたことおよび井戸を堀つたことは否認する、同(ハ)の事実中大型タンク一基およびポンプ一台を増設したこと、吸収設備を二重にしたことは認めるも、その余は否認する、同(ニ)の事実中被告主張の除塵装置が設置されたことは認めるもその余は否認する、同(ホ)の事実は認めるも、原告の賃料受領拒絶は被告が塵埃防止設備を完全にしないからである、と述べた。

四、<証拠―略>

理由

一原告が訴外長照寺から土地を賃借し、右借地上に本件各建物を所有していること、原告が被告に対し昭和三六年一月一日原告主張の賃料期間の定めで賃貸し、右賃料がその後増額されて金一〇万円となつたことおよび右賃貸借にあつては、原告主張の特約がなされていたことは当事者間に争いがないところである。被告は右特約はいわゆる例文で拘束力は有しないというけれども、右被告の主張を認めるべき資料はない。

二ところで、原告が被告に対し昭和四一年一二月一三日前記特約違反を理由として本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をしたことは当事者間に争いがないから、右解除の意思表示の効力について次に判断する。

(一)  被告が昭和三六年四、五月頃から本件各建物の一部である工場においてショット作業を開始した(当初機械は三台であつたが後に四台となる)、右ショット作業とは鋳物類、鍛造品、鈑金等に附着しているカーボン砂等を落す研磨清掃作業であることは当事者間に争いなく、<証拠>を綜合すると次の事実を認めることができる。即ち

前記ショット作業は研掃対象である鋳物類等をショットブラストに入れ、それに散弾状の小鉄粒を吹きつけて鋳物類等に附着しているカーボン砂等を落して研掃するものであるが、その作業工程からは相当の鉄粉等が発生し、それが本件工場の西側および南側に隣接して存する訴外長照寺の墓地に飛来し、昭和三六年六月頃から右墓地内の墓石を極めて広範囲にわたつて汚染し、墓石は茶灰色に変色し、特に工場に近接している墓石についてはその度合が強かつた。そして、その汚染は洗い落すことのできる単なる汚れではなく、鉄錆による侵蝕を起しこれをきれいするにはいわゆる小叩きの方法によらねばならないものであつた。そのため、訴外長照寺はその壇家から苦情を訴えられ原告に対し苦情を申入れるに至つた。原告は、東京都公害部にこの調査指導を求めるとともに被告に対し時には長照寺や壇家のものとともに屡々鉄粉等の飛散防止のための施設をするよう要求した。被告は原告ないし長照寺からの右のような要求やら、都の調査、指導を受けて昭和三七年七月から昭和三九年五月にかけて被告主張のとおりの防塵設備をなし、さらにその改善につとめてきた(この設備ないし改善の工事については当事者間に争いがない。)もののなお多量の鉄粉等の墓地内に飛散する状態を防止するには至らなかつた。

長照寺は鉄粉の飛散の状況が以上のようになお改善されるまでに至つていないので原告に対し昭和四〇年八月二八日賃貸借契約を解除することある旨の警告を附した原告主張の催告書を発し、原告は右催告に基き昭和四〇年九月八日到達の内容証明郵便をもつて被告に対し、長照寺からの右の催告内容を伝えるとともに、昭和四〇年一一月一〇日までに被告工場より発生する鉄粉等の完全な飛散防止設備を設置するかまたは作業方法を変更するかを催告し、右期間内に右処置がとられないときは、前記特約違反を理由に本件各建物の賃貸借契約を解除する旨通知した。

被告は右のような催告を受けたので同月上旬被告主張のバックフィルターの設置等により防止策を講じた(右防止の措置についても当事者間に争いがない)ものの、なお完全に集塵することはできず、かなりの鉄粉等がほぼ無風時でも煙突から墓地に飛散するのみならず、被告工場は、作業中は冬でも窓を全開しているため工場内に集塵時に脱落し推積した塵埃が研掃材料を荷おろしするときや風の方向如何によつては窓外のブロック塀を越えて墓地に飛散し、また、バックフィルターによつて集塵した鉄粉等を工場敷地内に野積にして放置していたため風に吹かれると近隣に飛散していく状態であつた。

そして昭和四一年一一月頃原告が原告代理人弁護士ほか数名のものと検分にいつた際、被告は原告らから右の点をも指摘されなお改善するよう求められたが、これ以上はできないとして被告は改善の措置を講ぜず、最近に至つて漸く集塵用の袋を用いてバラのまま野積にして放置する状態はなくなつたこと、

以上のとおり認められ、<証拠判断―略>

(二)  しかして他に長照寺、原告など近隣在住者が右認定の鉄微粉飛散によりどれ程の健康上その他生活上の害を蒙つているかは、これを確認できる証拠はない(<反証―排斥>)のであるが、右に認定したように、被告がその経営するショット工場の作業に伴う鉄微粒粉飛散により本件各建物敷地の賃貸人である長照寺の境内にある墓石を灰白色に侵蝕せしめもつて賃借人である原告は長照寺から右鉄微粒粉飛散防止策を講じさせるよう要求され、その防止ができないときは賃貸借を解除する旨の申入を受けしめるに至らしめている事実は、前認定の工場経営にあたつては原告の迷惑となるようなことはしないという特約条項に反するものといわなければならない。

もとより弁論の全趣旨によれば、原告は被告がショット工場を経営することを目的として本件各建物を賃借使用すること予め知つていたことは明らかであり、したがつて、右工場を経営することに伴うある程度の迷惑は原告としては忍受しなければならないこと勿論であり、<証拠>によれば、本件各建物は工場化された地帯の一劃に存し、約一五〇米難れた場所にも現に被告よりも規模の大きいショット工場があることが認められ、長照寺等近隣の在住者も多少の被害はやむを得ないものということができるであろう。

しかしながら、被告は前認定のとおり諸設備を施し、被告主張のようにこれがために小企業としては多額の設備費用の投下をしている<証拠略>けれども、前認定のように被告は都の公害調査、行政指導や原告、長照寺等からの苦情申入れを受けて設備にかかつたのであり、一方においては集められた鉄微粒粉等の塵埃を野積にするとか、墓地側の窓を常時開放するなどの如き、工夫によつては容易に改善できる筈のものを放置し、原告らからの指摘にも拘らず久しく放置しているから、被告の塵埃飛散防止に対する態度は現実に発生している被害を防止するというよりは遺憾ながら集塵装置を設備すれば足りるとするものと解せざる得ない。かかる被告の態度は賃貸借当事者間に要求される信頼関係を破壊するものとの評価を受けてもやむを得ないものと考える。

(三)  しからば、原告のなした前記契約解除の意思表示は有効であり、これによつて本件各建物の賃貸借は解除せられたものとしなければならない。

三よつて、被告は本件各建物より退去してこれを明渡し、右解除の日に至るまでの約定賃料と右解除の日の翌日より右明渡済に至るまでの賃料相当の損害金を支払うべき義務があるものというべく、原告の本訴請求は理由あるをもつてこれを正当として認容し、民事訴訟法第八九条第一九六条により主文のとおり判決する。(綿引末男)

物件目録

東京都大田区羽田本町五〇〇番地三

家屋番号 五〇〇番

一、木造瓦葺平家建工場

床面積 218.71平方米

附属建物

1 木造瓦葺平家建事務所

床面積 33.05平方米

2 木造瓦葺平家建便所

床面積 4.95平方米

3 木造瓦葺平家建食堂

床面積 19.83平方米

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